法華経 高原穿鑿の譬え

ためになる話し

法華経 高原穿鑿(せんじゃく)の譬え

 それはちょうど誰かある人が、水を探しているようなものである。水を得るために堅い不毛の地(砂漠)において井戸を掘らせるとしよう。乾燥した白っぽい土が運び去られているのを見ている間、その人は『水はここから遠いところにある』と知るであろう。ところが、水分を含んだ土がぬかるみとなって、水滴をしたたらせて運び出されていたり、また、井戸を掘る人々の手足が泥のぬかるみで汚れているのを見る時、その人はその瑞相を見て、『水はすぐ近くにある』と考えて、惑いもなくなるであろう。
 このように、菩薩たちは、この法門(法華経)を聞かず、会得せず、理解せず、考察しない限り、この上ない正しく完全な覚りから遠くにいるのだ。

法華経 角川ソフィア文庫、植木 雅俊「訳・解説」 より引用

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