法華経 化城宝処の譬え

ためになる話し

法華経 化城宝処の譬え 角川ソフィア文庫、植木雅俊訳・解説より引用

その時、世尊はこの意味を重ねて示しつつ、次の詩を述べられた。
「譬えば、畏ろしくて、過酷で、人けがなく、孤立していて、身を守るところがなく、多くの猛獣が住み、飲み水もない荒野があるとしよう。愚かなものにとって、その荒野は、畏ろしいところであるだろう。そこには、その荒野へと出で立った幾千もの多くの人たちがいるとしよう。その荒野は、広くて、まるまる五百ヨージャナにわたっているとしよう。通過し難く、極めて畏ろしいその荒野において、それらの人たちの道案内となったその人は、裕福で、思慮深く、聡明で、志が堅く、よく教育されていて、何ものも畏れるところがない。さらにまた、疲れきったそれらの幾コーティもの多くの衆生は、その時、その道案内に言った。『友よ、私たちは疲れきっています。私たちは何もできません。今、ここで引き返すことが私たちの願いです』その時、経験豊かで、賢いその指導者はまた、『ああ、何ということか。これらのすべての愚かなものたちは、自分で引き返して、宝物を失ってしまうのだ』と考え、一つの方便を考えるとしよう。『私が今、直ちに、神通力によって化作しようとしている大都城は、幾千・コーティもの住居で荘厳され、精舎や遊園で美しく飾られている。私は、諸々の池や川も化作するであろう。その大都城は、園林と花で飾られ、諸々の城壁や城門で美しく飾られ、比類のない女性と男性たちが住んでいる』大都城を化作した後に、その道案内は人々に次のように言った。『あなたたちは、恐れてはならない。喜びなさい。あなたたちは、最も勝れた都城に到達したのだ。速やかに中に入って、やりたいことをやるがよい。あなたたちは、心を躍らせて安心するがよい。荒野のすべてを余すところなく通過したのだ。』と。その道案内が、元気づける言葉を語り、すべての人がようやく元気を回復した。そして、全員が存分に休憩を取ったことを知って、全員を集めて再び言った。『あなたがたは、私の言葉を聞くが良い。この都城は、神通力によって私が化作したのだ。私は、あなたたちの疲労ぶりを知って、あなたたちが引き返すことにならないようにと考えた。これが、私の巧みなる方便である。宝の島に行くためにあなたたちは勇気を出すがよい』」

ヨージャナ ・・・ 由旬、牛に車をつけて1日引かせる行程のこと
コーティ  ・・・ 千万・億、多数という意味

人生の「魂の旅路」も 法華経と同じ

使命を持って生まれ、それを経験している人たち
楽し経験を思う存分経験するため、生まれてきた人たち

法華経は単なる仏教の教えに留まらず、人の最終目標到達までの「永遠の魂の旅路」も表している様に思います。

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